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クラウド小説 No.1[後編]

頼みの綱

年が明けてすぐ、新卒2年目の松本さんが次の経理担当者に名乗り出てくれた。大学時代に勉強した簿記の知識を活かしたいのだそう。佐藤先生にも相談し、彼女が作業できる部分をどんどん引き取ってもらうようにした。

***

ところが事件が起こった。年度末の決算を迎えた4月頭、松本さんが青い顔をして林さんのところに駆け寄っている。

「数字が……合いません……」

画面と通帳を交互に見た林さんは、しばらくすると険しい顔になった。会計ソフト上の預金残高と実際の預金残高が合わない。こうなると、今年度分の帳票ファイルをすべて洗い直して確認する必要がある。林さんをはじめ、総務部全員で作業を行うことになった。

一日半かけた結果、無事にズレは修正することができた。松本さんが小さい声で言った。

「皆さん申し訳ありませんでした」
「松本さんの責任ではないよ、僕がもっと丁寧に引き継ぎをしていればよかっただけで」

林さんが松本さんの顔色を伺うが、彼女の表情は暗いままだ。そんな中、総務部の誰かが言った。

「新しいソフトを使っているのに、こんなこと起きるんだね」
僕がすかさず割り込む。
「まだ業務全体がきれいに整理されているわけじゃないから仕方ないよ」
その一言で会話は終わった。

フォローはしたつもりだった。しかし一日経っても二日経っても、彼女の表情が明るくなることはなかった。

4月の中旬頃から松本さんは休みがちになり、ついには休職を余儀なくされた。自ら名乗り出た役割に重圧もあっただろうし、大勢の人を巻き込んでしまった事実にも耐えられなかったのかもしれない。しばらくは林さんが臨時で経理業務を行い、その間に今後について検討することにした。

正義の目

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5月の新緑が美しくなってきた頃、佐藤先生が東京から訪ねてきた。会議室で事務的な話をし、いつも行く定食屋で昼飯を食べ、近所の川のほとりを歩いた。ぽつんと佇むベンチに、何もいわず佐藤先生が座った。僕も隣に座る。しばらくの沈黙の後、先生が切り出した。

「僕のやり方は根本的に間違っていたのかもしれません」
僕は目を丸くしていたと思う。続けて先生が言った。

「僕は今まで『どこまで任せられるか』という観点で経理担当者を見ていたけれど、まず全体の業務フローを設計して、少しずつ担当者に委ねていくべきだったんだと思う。松本さんにも、前任の由紀さんにも、悪いことをした。僕がもっと入っていくべきだった。申し訳ない」
きっと先生もすごく悩んだんだろう。考え抜いた言葉は重い。

「ふりだしに戻っちゃったけど、今期必ずやりきりましょう」
「そうですね、頑張るしかない」

***

絵里は松本さんの様子を見に、彼女が母親と暮らすアパートに行っていた。彼女は部屋着のまま、自室で座りながら話してくれた。

「もう自分はダメかなと思っていました。でも……」
少し痩せて顔色は優れないが、目には光るものがある。
「ここ数日、会社のことばかり考えていました。身体はつらいはずなのに。このまま諦めるのは嫌なんです。もう一度チャレンジしたいです」
絵里はうんうんと頷きながら話を聞く。

「もう少し体調が良くなったら、次は頑張ります」
「もう一人で頑張っちゃダメだよ」

絵里の報告を聞いて僕は安堵した。佐藤先生の言葉の通り状況はふりだしだが、希望は少しずつ見えてきた。

春の息吹

7月になって松本さんが復帰した。そのタイミングで佐藤先生に再度姫路に来てもらい、作戦会議をした。

まずクラウド会計の操作は先生側で行ってもらい、松本さんには「社内から集まったデータを所定の場所に収めること」に注力してもらうことにした。クラウドにデータが集まりやすいように、請求書による支払管理や経費精算、小口現金管理などのデータはオンライン上で共有できるようにした。それらを佐藤先生が会計ソフトに正しく納めていく。

早い段階でオンライン上のデータにすればミスが起きにくいので、その環境に慣れるように松本さんにはお願いした。佐藤先生へのコンサルフィーは増えたので懐は痛いが、松本さんは少しずつ笑顔を取り戻していった。

年が明け、寒さも底を過ぎ、3月を迎えた。松本さんがリードする形で、全社的に早く正確な動きを取ることができた。おかげで、問題なく今年度の決算を締めることができた。

***

佐藤先生と定時オンライン会議。ほっとしていた僕のパソコンの中から覗き込んできた先生は言った。

「まだスタートラインですよ、社長」

まさにその通り。これからようやく、僕の本当の社長業が始まるのだ。

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