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クラウド小説 No.1[前編]

父の口癖

「後になって悔やむことには、必ずその予兆がある。それを見過ごすな」

親父によく言われてきたことだ。今日ほどその言葉を噛みしめた日はない。僕の机にあったはずの帳簿のファイルがなくなっている。明日の銀行との打ち合わせに必要なデータをまとめる予定だった。

原因はわかっている。今日の午後、経理担当の由紀さんに声をかけた。
「来月からもう少し早めに月次を出せませんか?」

これまでのやり方とクラウド会計との並行期間をもっとスムーズに進めたい僕の気持ちが、彼女のプレッシャーになったのだろう。時計を見ると、午後11時をさしていた。今夜は長くなりそうだ。

***

2年前のある日、僕がふと工場に顔を出して帳簿を見てしまったことからそれは始まった。姫路にあるうちの会社は親父の代から50年続く老舗で、当時僕は二代目社長になったばかりだった。その時は帳簿にあった「通信費」があまりにも高く、削るよう工場長に要請したのだが、嫌な予感がしてすぐ動くことにした。

総務部長の林さんに聞いてみると、この会社は年に一度の決算のタイミングでしか会計の数字が出ない状態だった。このあと100年200年と続く会社にしていきたい僕は、スピーディに正確な経営判断ができない状態をとてもまずいと思った。

そこで僕なりに懸命に探して見つけたのが、会計士の佐藤先生だった。ホームページにあった「クラウド化に強い会計士」という文字にピンときて、すぐさま東京へ向かった。その場で会計業務の見直しを依頼し、その後1年以上かけて既存の方法とクラウド会計ソフトの並行期間を続けてきた。

視線の先

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結論からいうと、翌朝の銀行との打ち合わせは問題なく終えられた。夜中に会議室のストレージを隅から隅まで探して、かなりの寝不足だったけれど。帰り道、ブルっと震えたiPhoneを見ると、総務部長の林さんからメール。

「明日の朝、打ち合わせの時間いただけますか?」
間違いなくあの件だ。

由紀さんも、帳簿を紛失したら責任を問われることは理解しているだろう。聞いたところで「そこに置いただけ」と言われるに違いない。別に僕もそこを問い詰めるつもりはない。

会議室には眉が下がり切った林さんが待っていた。林さんは僕より8歳も上で、20年もこの会社にいる大ベテラン。不器用なところはあるけど、社内で誰よりも慕われているし、会社への想いも強い。

「『社長の件は気にしなくて良いよ』と僕から伝えますが、それで良いですね」
「すみません」

会議室から出ると、複数の視線を感じた。由紀さんと、今まで会計業務を外部委託していた吉田さん、若い女性社員も数人話していた。新しいやり方を導入することに一定の反発はあると思ったが、正直ここまでとは……。

***

その日の夜、いつもの店で絵里が曇った表情で待っていた。彼女が社員証を首から外していたら、僕たちが社長と社員の仲ではないというサイン。

「由紀さんかわいそうだよ」
「何が?」
「社長がわからない仕事を押し付けてくるって。最近帰るのが遅くなって、息子さんも寂しがっているし……」

予想はしていた。本来は自社でやることを委託先から戻しただけなのだが、そう認識するのは難しいのだろうな。僕の説明不足ともいえる。

「これが長期的にどう影響するのか、考えてくれるとうれしいけどね」

自信がない話の語尾は弱めになる。絵里は納得していない顔をしていたが、僕の様子を見て別の話題に変えた。

***

数週間後、由紀さんは12月末で退職したいと言ってきた。ここ数日の様子をみるに、吉田さんの助言もあったのだろう。さて決算月の3月まであと3ヶ月、どうするか。

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